みちのく自転車の旅 五日目: 聞き上手と大きな祈り

徹夜明けの疲れた顔をした若者達が朝御飯をしていたすき家を出て、北上川と共に北上していく。僕のみちのくの旅は、いつも川と一緒だ。伊達政宗の時代、北上川は治水工事の結果、山中をゆくこのルートに固定されたと聞いている。こういう工事が、仙台平野を肥沃な一大米生産地へと変えたのだ。動力のない戦国時代に、どうやってそういう工事をするのか、これも調べてみたらさぞかし面白いに違いない。

それにしても、この辺は人気がまったくない。鳥のさえずりと、川で魚が跳ねる音だけがしてくる。早朝の静かな時間。青空も今日は大きい。絶好のサイクリング日和だ。

北上川

小さな集落を一つ、また一つ通り過ぎていく。誰も乗っていない始発のミヤコーバスが僕を追い抜いていく。宮城交通のことに違いない。

道はここで北上川を離れ、一関へと向かっていく。40km道なり。サイクルコンピュータに、「これから40kmとにかく真っ直ぐ進んで」と言われるあの絶望感は何なのだろうか。しかも、左腿が痛く、お尻の据わりも悪く、普段なら踏み込んで一気呵成に登ってしまうなだらかな丘であってさえも、苦労しながらゆっくりでないと登れない。この辺が、この日一番の辛いところだったように思う。小さなバス停のベンチに座って休憩し、おにぎりを食べる。ずっと外を旅しているから、三方を壁に囲まれたこの小さな空間に、不思議と心落ち着く。

花泉では、あえてルートを離れ、街中を通る旧街道を進む。街の中で道がかくっと直角に二度折れているところが、いかにも街道らしい。駅からすぐ傍に小さな和菓子屋さん。ここでも休憩しようと思い、中に入って誰何すると、奥からおばさまが出てきてくれた。僕が和菓子を所望し、店内で食べますというと、せっかくだからとわざわざお茶まで入れてくださった。僕が横浜から自転車で来たと知ると、驚きの声を連発してくれて、微笑ましい。その上、僕が普段アメリカに住んでいるというと更に驚きが止まらなくなる。やはり、日常接点のない人と触れるというのは、誰にとっても面白い事のようだった。思わず僕もいろいろ喋ってしまい、話している人が楽しくなる聞き役というのは素敵な才能だな、と後から思った。わざわざ外までロードバイクを見に来てくれたし。時々方言になるのもとてもよかった。

花泉の出会い

花泉から一関までが、今日一番の登りである。登りというのはしょぼすぎる、たった80mなのだが、左腿に不安があるので、まるで800mの山に登るかのような気合いと不安を抱えながら登り始める。しかし、あの和菓子屋での休憩時間のお陰か、難なく登れてしまった。こうして、難局を一つ一つ乗り越えていくことで、人は自分に対する自信を積み上げるのかなと思う。風や登り坂に抵抗せず、スピードのことは忘れて、足への負荷を一定にして進む。逆境にあっても自分のペースを守れば、嵐をやり過ごすことができる。しなやかさという力。スポーツから学ぶことはとても多い。

気が付けば、バス停のサインもミヤコーから岩手県交通になっている。数日前は福島交通だったのにな!

一関ではまだ時間も早かったし、心が少し回復したのか、寄り道しようと思い立ち、ここから西に7kmばかり登ったところにある厳美渓を目指す事にした。厳美渓は、どこにでもありそうな小さな街の中を、この世のものとも思われぬ美しい渓流が流れるという、実に不思議な景色だった。セルリアンブルーの白濁した水が、急峻な岩場の間を水飛沫を上げながら流れていく。岩を削った微細粉末がこの色を作るのだろうが、それにしてもこの色は!岩の色との対比がとてもよい。

厳美渓

厳美渓から戻り、今回の旅の一応の最終目的地、平泉を訪れる。最初は、世界遺産である毛越寺の観光。ここは、奥州藤原氏が地上に作ろうとした極楽浄土の跡地なのである。大きな池の周りをぐるりと囲んでいた様々な寺社や伽藍の跡だけが残されている。当時から1000年近い未来を生きる僕には、この地は極楽浄土というよりも、人の世の儚さを伝える場所になっているように感じられる。

栄華を誇る現代の都、例えばドバイも、1000年後にはこのような遺跡だけになり、未来人に儚さを感じさせる場所になっていたりするのだろうか。地球温暖化で人が住めなくなり、あるいは戦争で荒廃し、放棄される…そんな想像の翼を広げる。

戦火で疲弊した国を癒やし、遍く衆生を仏法の力で救いたい。100年の栄華が可能にした奥州藤原氏の遠大な理想。彼らが滅びたことによって、この理想が不滅のものになるというのが実に皮肉だ。ドバイが滅びた後にも、永遠になるような理想というのは、ドバイにあるのだろうか。僕は正直、そういう精神性はあの街からは何も感じなかったが。

そして、中尊寺金色堂。金色堂は実に小さな建物であったが、それだけに、眩いばかりの黄金、夜光貝を使った虹色の装飾、数多の仏像、微細な文様の彫刻、そういうものが相まって、間違いなく東北最大の栄華を今に伝える世界遺産だった。小さく精緻と言う事が、この目でその栄華を感じ取ることを可能にしてくれる。今でこそ、金色堂は美術や趣味といった文脈で見られてしまうが、呪術的な力が現実のものとして信じられていたあの時代、寺社は間違いなく公共事業であったはずだ。疫病や飢饉や干魃から国を救う、国防のための投資。そんな事を思いながら、静かにこの地を巡った。

中尊寺を歩いて回ったのが良かったか、自転車にまたがってみたら左腿の痛みは消えていた。ここから、新幹線の水沢江刺駅まで15kmほど、最後のひとっ走り。午後も時が回り、影の長さが少しずつ伸びてきた。旅の終わりの寂寥感。日曜日の午後の笑点のような。

この旅を最後に締めてくれたのは、315beerという水沢のクラフトビール屋さんだった。訪れてみると、実に個性的な店内に、ブルーハーツの甲本ヒロトのようなオーナー。自分なりの美意識を追求していないとこうはならない。僕の好きなタイプの人&お店だった。ただ、店内で飲食は出来ないという。缶ビールだけを買って荷物につめ、駅へ向かう。

新幹線の水沢江刺駅は、在来線の通らない、何もないところに作られたどこか寂しい駅だった。ここでささやかな祝杯を上げ、自転車を分解して梱包し、新幹線を待った。長い旅、そして運動を終えた時だけに特有の、心が無になる満ち足りた至福の時間。静かな駅に夕陽が差し込み、どこか物悲しさを掻き立て、旅の終わりには最高の雰囲気になってくれた。

夕暮れの水沢江刺

東京へ向かう新幹線は、僕の一日分の旅をわずか30分で巻き戻していく。外が暗くて景色が見えないのだけが残念だ。今の僕には、車窓を流れる街の一つ一つに物語と愛着があるのだ。苦労して走った道路達。そういうものを見て愛でながら帰路につきたかった。

五日間、670kmのみちのくの旅は、こうして終わった。

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