南から夏を運ぶ薫風に背中を押されて、阿武隈川沿いを一路北へ。 特徴的な切り立った屋根をふいた旧家があちこちに見られる。この辺は冬には雪深くなるのだろう。
二本松。戊辰戦争の戦場として有名だ、というのを事前勉強で調べてあった。山の上まで登り、砂利道を自転車を押して歩いて天守閣跡を訪れた。歴史の事前勉強で感じたのは、東北人達は不器用だな、という事だ。連発銃を装備し、西洋式の近代化された「西軍」に立ち向かい、先祖が徳川家に受けた恩を返すために、義に殉じて死んでいった侍達。勝敗の趨勢をちゃんと見極められていたらこんな事にはならなかったのに。この大地では、結構そんな歴史が繰り返されている。でも、そんな会津っぽ達が可愛いくて、僕は好きだ。
西軍が作った近代政府のおかげで生まれ変わり独立を保った日本に生きる末裔としては、西軍が成し遂げた回天の偉業には感謝してもしたりないが、それでも、人の心を動かすのは、結果ではなくて道のりの方だ。まさに旅と同じだ。
城を降りてすぐのところに、二本松藩御用達、なんと16代も続いているという和菓子屋。ここで苺大福をいただく。さすが16代続いているだけのことはある、圧倒的な柔らかさであった。日本ではコーヒー屋が朝やっていないという不思議について触れたが、同じくらい不思議なのは和菓子屋は朝早くからやっているという事だ。どういう理由でかは知らないが、カロリーが必要な自転車乗りにとっては実にありがたい。日本の朝は、コーヒーではなくて餡子だ。
あちこちに案内板が出ているを見て、それだけ推しなら観に行くか、とおもい立ち寄った高村智恵子の生家。日本の女性解放運動を先駆けた時代の人。同じ時代に活動した伊藤野枝について以前ポッドキャストを聞いたので基本的な背景知識がある。あの時代に自分の道を進もうとする女性の難しさ、そういうのが統合失調症に至るきっかけの一つなのではないか。一番心を打たれたのは、発症してから死ぬまで作り続けたという切り絵の作品群。統合失調症に蝕まれた芸術家というとゴッホを思い出す。自分の存在そのものが崩れ落ちていく恐ろしい病に蝕まれながら、さらに自分を削ってでも何かを創らずにはいられない。そういう「作る」ことへの執念が、同じく物作りをせずにはいられない自分とちょっと重なる。そして、その狂気の現れ方を比べると、ゴッホのそれは実に男性的だし、高村智恵子のそれは実に女性的だなと思うのである。全然予定していなかっただけに、意義深い寄り道となった。
福島市で入った、創業昭和29年のラーメン屋。後でこの辺一帯のチェーン店で何店舗もあるという事が分かったのだが、店内に書かれた、戦後の復興で明るい昭和のノスタルジックな描写がとてもよかった。五感に訴える表現。僕もああいう風に感情を揺さぶる文章を書きたいものだ。
伊達市を通り過ぎたあたりで、あつかし防塁に立ち寄る。ここは、鎌倉時代に源頼朝軍と奥州藤原氏の軍勢が、東北の独立をめぐる大合戦をした古戦場なのである。ここでも、東北人達は大変な準備をして源頼朝の来襲に備えるのだが、関東人である源頼朝に負けてしまうのだ。ああ、不器用な東北人達の歴史は戊辰戦争だけじゃないのである。
防塁のところに、少し離れたところに歴史資料館もあるという案内が出ていたので、寄り道することにした。尋ねた歴史資料館は、廃校になった小学校の一室であった。子供が減っていく中、せめて子供達のためにと立派な建物を建てたのだと思う。でも、そんな思いも虚しく、子供はいなくなってしまった。子供が誰もいない校庭に翻る大きな鯉のぼり達。胸が詰まった。
こんな小さな資料室なのに、何かの集まりであろうか、この日は何故か四人もスタッフが居られた。横浜から自転車で来たと知ると感激してくれ、コーヒーまで淹れてくれた。田舎の人は本当に優しい。
道端の和菓子屋さんで、柏餅と栗饅頭。2代目の店主だそうで、この人も横浜から自転車で来たというと飛び上がらんばかりに驚いて、しばらく話し相手になってくれた。餡子も元気をくれるが、こういう会話もまた元気をくれるのだ。
ここから先は、阿武隈川は両脇を険しい山に挟まれ、仙台平野まで駆け下りていく。その脇を走る道からもさぞ美しい景色だろう…と思っていたが、最近山の中をぶち抜くトンネルが出来ていて、車には嬉しいだろうが自転車には何にも嬉しくない景色が続く。ライトは付けているが、トンネルの中は音が反響し、後ろから来る車への恐怖感が煽られる。気が気ではない。
山間を抜けたところが丸森。地元の豪商、斉藤理助の屋敷が、資料館になっているのを見学する。 斉藤理助は呉服、養蚕など幅広く手掛けていた地元の豪商。阿武隈川の舟運がいかに経済的に大きいかを感じる。この資料館、斎藤家の歴代当主の可愛らしいエピソードに満ちていて、微笑ましい気持ちにも。雷が苦手だったり、新しもの好きで自動車を買い込んで乗り回してみたり。 川向かいの角田では、地主の氏家丈吉さんの豪邸が資料館に。昭和初期の立派な建築が残っていて、これも往時を偲ばせ興味深い。当時、こういう豪商が多くいて、つまりこの辺は経済的に裕福で、たまたまこの二軒が残ったのか。あるいは、村の富が一人の人に独占されるような形を生み出す素因があったのか。
今日は120kmと短く、追い風もあり余裕を持って宿に着く。洗濯をして、地元のクラフトビール醸造所+牛タン屋が開くのをまって夕食。ご飯は三杯お代わりして、ビールも三杯飲んだ。こんな小さな街でもクラフトビール屋さんがあるなんて。サーバーの初老の紳士も笑顔が素敵で好感が持てた。

