車の汚れに熱気を感じたのは初めてのことだった。走り続けていたことがわかる、前からの汚れ。他の車の溶けたタイヤのゴムだろうか、真っ黒だ。
フランス滞在一週目、僕は、24時間耐久レースを翌週に控え、熱気を孕んだLe Mansの街を訪れていた。自動車博物館には、この街の代名詞とでもよべる、このレースの歴史が誇らしげに展示されていた。100年以上続くこのレースでは、続くということそれ自体が、文化や、習慣や、無数のドラマを生み出していた。
ここ数年のルマンらしい形をしたトヨタの車。昨日レースを終えたかのような、汚れが付いたままの生々しい姿で展示されていた。24時間走り続けるということは、こんなにも過酷なのだな。日本初の総合優勝を遂げた、マツダのロータリーエンジンを搭載した車も置いてあった。僕でも知っている物語。ここに展示されている車の一台一台に、技術者の執念があり、お金を出す人の浪漫があり、ドライバーの苦しみがあり、観衆の熱狂があったに違いない。目には見えない、しかし確かにそこにある、たくさんの人の想いが僕を深く揺り動かす。
同じく一週目には、レオナルド・ダビンチのフランスでの工房も訪れた。あの有名なモナリザの絵。油絵にしてはすごく綺麗なグラデーションがついている。考えてみれば、ああいうのは、水彩でこそできるが、油絵では難しい手法のはずだ。工房の展示によれば、ダビンチはそれを、極めて薄く溶いた絵の具を塗り、乾かし、また塗り重ね…という手法で描いたらしい。製作に要した時間、18年。彼が死んだことで作品が中断されたので、「製作に要した」という表現が適切なのかさえも分からない。僕が水彩を描く時は一枚二時間くらいで終わりにしてしまうから、それと比べると18年という歳月は途方もない。
そういう年月の単位で少しずつ塗り重ねる、ということは、「作る」ではなく、「育てる」という表現の方が適切なのではないか。彼自身にも、はっきりとしたゴールのビジョンはなかったように思えてならない。絵がどこまでコクを増していくか、とことん付き合ってやろうじゃないの。きっとそんな感じだったのではないか。
フランスは歴史の長い国だから、どこへ行っても色々な時代の遺跡、建築物、美術作品などが残っていた。Amboiseもそうだった。ダビンチが晩年を過ごしたルネサンスの記憶がある一方で、さらに千年遡れば、フランク王国最初の王と、その南に広がる大国の王が向かい合い、互いの勢力の境目を確かめ合ったのも、ここから歩いてほんのすぐの川の中州だ。
横糸もある。百年戦争の時代に活躍した、ベルトラン・デュ・ゲクランや、ジャンヌ・ダルクといった英雄たちの物語を、本やポッドキャストで見聞きしていた。一流の素材を、一流の語り手たちが切り取った、吸い込まれるような物語たち。そういった物語に登場する場所が、雄大な小麦畑の間に、次から次へと現れた。中世からある、石畳の頑丈な橋。あっ、ブロワってここのことか!一日掛けて100km走ってたどり着いたオルレアンの街。オルレアン公のOrleansって、この街か!
そうすると、物語の中では描かれていなかった必然性が、自然とつまびらかになっていく。河川は、昔はものを運ぶための高速道だった。これらの主要都市が、ロワール川沿いにあるのは、だから偶然ではない。川沿いを走っていると、風はいつも大西洋から吹いていることに気付く。ということは、川を下るときは流れに身を任せ、川を上るときは帆を使えばいいということだ。なるほど、そんな便利な川だったから、ここらが発達したのだな。こんな広い川に橋を架けるのは難しかったに違いない。自然と、中州のあるところなどが重要な拠点になっていく。オルレアンは、中州もあるし、パリにも一番近いから、当然にここが最重要拠点だな、などなど。
縦糸と横糸が強固に結びつき、僕の中では空間的広がりのなかった物語が、急に艶めかしく三次元的に、匂いや景色と共に立ち上がってくる。
ボルドーの傍の小さな街、Loupiacでは、ローマ時代の邸宅の浴場の遺跡もみた。民家?の隣で工事現場のような覆いが掛けられただけで、ここにあるはずなのにな……と何度も往復しながら探してようやく見つけることができた。ホームパーティをしていたように見えた英語の全くできない陽気なおじいさんが、僕の見張りか案内かで、付き添ってくれた。
ローマ人がこの辺りに入植したのは紀元前。ワイン造りと葡萄を持ち込んだのも彼等だ。ボルドーの代名詞となっている左岸の巨大な葡萄畑は、その後の時代に湿地を干拓して作られたものだ。ローマ帝国は滅びたが、彼等がこの地にもたらしたワインはその後も発展し、ボルドーの歴史を形作った。おいおい、すると僕が連日せっせと飲み比べていたボルドーワインは2000年の歴史の頂点ってことか……。
ボルドーワインを面白くしている、格付け制度。これができたのは200年くらい前だ。2000年の歴史に比べると、ここ最近の新現象とさえ呼べる。ボスを倒したら裏ボスが出てきた感が可笑しい。
そして、たかが200年くらいしか続いていないものは、もう数百年くらいしか続かなくても不思議はないが、2000年くらい続いてきたものは、今後200年くらいではなくなりはしないだろう。ということは、数千年後の人類も、多分ワインを飲んでいるに違いない。時間軸をすっとズームアウトして、紀元前のジュリアス・シーザーと、2000年後、別な恒星を回る別な惑星に住む発音できない名前の誰かと、ワイングラスをチーンと乾杯している姿をちょっと想像した。
そんな想像から戻ってくると、目の前にはおじさんの笑顔と、熱波でとても暑い午後の空気。今日は短いライドで良かった。よーし、さっさと家に帰ってLoupiacの甘いワインを飲むぞ。昨日スーパーで買ったやつが冷蔵庫に入っているのだ。
ローマの息吹は、フランスのあちこちに無数に残っていた。何を隠そう、塩野七生のローマ人の物語を一気読みしてから、僕はローマの大ファンなのだ。三週目から四週目へと拠点を移動している最中に立ち寄った、リヨン。地中海に繋がる大きな川があり、ここで川が二手に分かれている。そう、そしたらここがローマの拠点でないはずがない。そして、この地形なら、彼等は絶対に川の水害のない丘の上に街を作るはず。丘の上へ登るフニキュラーに乗った。陽射しがひときわ眩しい丘の上には、案の定ローマの遺跡がゴロゴロしていた。僕の思考回路は、ローマ人のそれとシンクロし始めていた。
暑すぎて死にそうだったので、この遺跡の隣に建てられていたローマ博物館に、これ幸いと逃げ込んだ。外とはうって変わって暗く涼しい室内には、字が彫られた石がたくさん置いてある。よく見ると、どの石碑に彫られた字も字体が揃っているし、字の配置とかが実にちゃんとしている。線はどれもV字に彫ってあって、光に当たると陰影がきりっと立ち上がって美しい。こういうところにまで気を配り、しかもそれをシステム化して、無数に作られる石碑がどれも一様になるようにする。
遺跡とか彫刻とか、展示というと、そういう目に見えるものばかり目が行って、ああ綺麗だなで終わってしまいがちだ。でも、僕にとってのローマの偉大さは、石の溝の彫り方、みたいな、ソフトウェアの方なのだ。この完成度が、2000年前だよ…!
ローマの支配というのは、社会制度であり法制度であり物流であり通貨であり、そういうものが全部一式揃っているのをそのまま導入できるという、すごい社会基盤なのだ。でも、みんな、そういうソフトウェアの方には気付かず、ハードウェアだけを見てしまうんだよなぁ。
プロバンスで見た修道院を思い出した。ラベンダーに囲まれた、優しいたおやかな修道院を想像して立ち寄ったら、なんとそこは完全に中世の戦城であった。見晴らしの良い高い塔があり、そこに物見を立てて、海賊や蛮族の侵入があると、鐘を鳴らして近隣の住民を中に避難させていたらしい。ローマ帝国が衰亡した後の中世暗黒時代、近くの人々を守るために闘う修道士。そこからほんの15分ほどの街アルルでは、地中海全域を支配した偉大な帝国が作った、公衆浴場やフォーラムや露天演劇場や水道が残っていた。人は、組織を作って力を結集させる。2000年前の人間たちの方が、1000年前の人間たちより遥かに高度に力を結集させていた、ということが、僕を謙虚にさせる。
リヨンを出てアルプスへ向かうと、みるみる山が険しくなった。さっきまで僕は、ローマ人が石に刻んだV字の溝を見て、石とはこんなに美しく削れるものなのかと思っていた。ところがアルプスの剥き出しの岩の層を前にすると、今度は、岩とはこんなにぐにゃっと曲がるものなのか、と思わされる。
人は石に文字を刻む。帝国は制度を刻む。だがその石さえ、もっと長い時間の中では、押され、折れ曲がり、山になる。二千年を大きな時間だと思っていた僕の目の前に、さらに大きな時間が立ちはだかっていた。





