ネギを持って、スーパーの店員が僕にフランス語で何かを訴えている。何だ?何か問題があるのか?急いで買い物を終えて、家に帰って料理をしなくては、友人をもてなす夕食に間に合わないのに!
スーパーのレジの外で待っていた友人が助けに来てくれ、通訳してくれたところによれば、野菜売り場で予め重さを量ってシールを貼らなくてはいけないらしい。そんな罠が。スーパーで野菜を買う、そんな些細なことも小さな冒険になる。
そんな旅の冒険は、到着当日から始まった。パリの空港で、レンタカーを借り、最初の滞在地Amboiseへと向かう。うっかりしていたら、Google Mapsにパリを囲む環状高速道路に誘導されてしまった。運転し慣れない国で、こんな混雑しているところは本当なら運転したくない。緊張しながら車を進めていると、向こうから、青い回転灯を付け、聞き慣れないサイレンを流しながらパトカーが走ってきた。そういう小さな所にさえ、異国を感じる。道路標識も、記号の意味が分からないものが結構ある。字で書いてある標識ならいいかというと、当然読めない。普段は道路標識って直感的にデザインされているなと思っていたが、何のことはない、もう意味を知っているからそう思うだけのことだった。
買い物の次に覚えなくてはいけなかったのは、時間割だった。Amboiseに無事到着し、借家の台所にあるものとないものを見てから、翌日のための食材を買いに出ようとした。が、調べてみると、近所のスーパーはどこも日曜日は閉まっている。後で聞いたところによれば、日曜日は基本的にお店は営業しないのが昔からの習わしで、観光地とか、移民が経営するコーナーショップとか、そういうごく限られたお店しか選択肢がなくなるらしい。でも、そうやって日曜日は静まりかえって家で穏やかに家族と過ごすっていうのがいいんだよね…と彼は懐かしそうに語っていた。
「日本人は働き過ぎ!」みたいなステレオタイプを耳にする時、僕の脳裏に浮かぶイメージというのは、夜も電気が付いて明るい新宿の高層ビルであったり、満員電車であったり、24時間営業のコンビニであったりした。が、フランス人が日本人に向けてそういう感想を向ける時、彼等の脳裏に浮かんでいるイメージは、日曜日も開いているスーパー、みたいなものなのかもしれない。当然に共通する認識だと思っていたものが、実は全然噛み合っていないかもしれない、という発見をする快感。
覚えるべき時間割は、日曜日だけではなかった。自転車で遠出をする時は、エネルギーを使ってお腹が空くので、僕はランチを二回するのが習わしだ。10時から11時くらいに一度、そして2時くらいにもう一度。ところが、フランスでは10時に食事できるところなんかどこにもなかった。ほとんどのお店で12時から13時半くらいのとても短い時間帯しかランチはやっておらず、たまに営業はしているお店に入っても、12時までは飲み物だけね、と言われたことが何度もある。そうか、異邦の地では、僕のしきたりを持ち込んでは駄目なんだな。 代わりに、パン屋に立ち寄るという技を覚えた。どんな小さな街にいっても必ずあり、朝早くから夕方まで営業しており、クロワッサンもバゲットも菓子パンも、驚くほど安く、美味しい。
店の時間割に合わせる技を覚えると、今度は台所の道具が僕を待っていた。Amboiseの借家の台所。塩はあり、三種類のビネガーがあったが、胡椒がない。そんなことってある!?驚きは料理を始めてからも続く。鶏肉を油で焼き始めたので、油が撥ねないように蓋をしようと思ったら、蓋がない。えっ、目玉焼きとかどうやって作るの!?パスタを茹でてから、お湯を切るための金属製のざるがないことに気付く。パスタがふにゃふにゃになる危機感を覚えながら、急いでGeminiに相談。あまりに当然すぎて、確認しようとさえ思わないものが、普通にない。ここに住んでいる人たちは、同じような料理でも全然違う作り方をするのだろうな。
家は毎週変わるので、驚きも毎週変化する。二週目の家には、まな板がなかったのには度肝を抜かれた。Geminiにも、よくあることですよ〜、空中で切るんですよ〜、と軽くいなされ、また驚く。まな板なしで料理なんて可能なの!?!?今まで僕がまな板だと思っていたのは、食卓にパンを載せて出すための木のプレートだったのかもしれない。 こんな新鮮味溢れる日常生活も結構久しぶりだ。
道具の使い方だけではない。もっと身体の深いところに無意識に染みついた作法も、異国では急に表面に出てくる。高速道路のサービスエリアのトイレ。便座がない。Geminiに相談すると、朗らかに「そうなんですよ、よくありますよ〜」。そうですか、非常識人は僕の方ですか。トイレットペーパーでふちをふいてから、さらにトイレットペーパーを出して臨時の便座とした。それでも結構抵抗がある。考えてみると、人間の衛生感覚、浄不浄の感覚は本当に面白いなと、常々思っていた。インドではトイレットペーパーはなく、代わりに水を使って尻を洗う方式が主流だった。確かに、論理的に考えれば、トイレットペーパーで汚れをこすって広げるよりも、水の方が綺麗なのではないか。そう頭では分かっていても、手に水を付けて尻を洗うというのはついにできなかった。自分は論理的で合理的だなどという考え方が恥ずかしくなる。何のことはない、僕もただの人間で習慣の産物なのだ。こういう風に、自分を縛る謎の枷から、もっと自由になりたい!
理由が分かったところで、問題が解決するとは限らない。それでも、ただの理不尽に見えていたものに名前がつくと、腹が立たなくなる。鉄道でも、同じことが起きた。
ある朝、電車に乗って遠くへ行こうと思い、駅に着く。電光掲示板に発車案内が出るのだが、僕の乗りたい電車が表示されない。駅にいた別な人に聞いてみたら、キャンセルされた、と教えてくれた。
もうちょっと調べてみたら、なんと今日はストライキの日だということがわかった。毎年、幾つかの日がストライキ用に決められており、今日は偶然にもその日だった。この路線ではその影響で列車の本数が大体半分になっていた。日本人的・アメリカ人的感覚では、ストライキを予定していたら駅という駅で大々的に事前に宣伝をするものだ。大体そうやって多くの人にアピールして経営に圧力を掛けるのがストライキっていうものの、そもそもの存在意義ではなかったか。そんな、毎年日にちが決まっているレベルで日常生活に組み込まれているのか、と感心した。フランスはストライキ大国!というイメージは僕の中にもあったが、そうか、こういうことなのか。自分の中で仮にでも理解ができると、イライラがふっとなくなる。
そんなふうに、旅の間、僕は生活の小さな冒険を一つずつクリアしていった。クリアできなくても、せめて何が起きているのかの名前を覚えた。パン屋に入れば昼食難民にならずにすむ。標識は、直感ではなく学習で読んでいるのだと知る。台所にざるがなければ、鍋の蓋をずらして湯を切る。そしてもう一つ、少しずつ覚え始めた技が、フランス語の音だった。
旅の間、Geminiにフランス語の発音ルールを教えてもらった。語末のxやsは発音しない。hの音はどこに出てきても無視する。だから、Alpe d’Huezは「アルプ・ド・フエーズ」じゃなくて「アルプ・デュエーズ」だし、Croix de Ferは「クロワ・ドゥ・ファー」だ。何度も目にする単語は、調べなくても自然に意味が分かり始める。例えば、Croixは、十字架。電車の案内など、電光掲示板と音声案内が同時に流れることで、来てすぐの時には流れる水のようにしか聞こえなかった音が、少しずつ単語の繋がりっぽく分離して聞こえるようになり始めていた。
最後の週、アルプスで通りがかった小さな街で、いつものようにパン屋に入った。いつもならショーケースを指さして注文するところだが、思い切って、指は差さず、「Un chausson aux pommes」と言ってみた。店員のおばさまは、一瞬戸惑ったが「chausson aux pommes」と口にし直して、僕のほしかったアップルパイをトングでとってくれた。
店先の小さなスタンドで、小さな勝利の味を噛みしめた。甘くて美味しかった。パンを作らせたら、フランス人は世界一だ。そしてその日、僕は指を差さずにそれを買えた。


