フランス自転車旅行の四週目、Grenobleを拠点にアルプスを走っていた。今日は、この旅で一番大きな峠に挑戦する日だ。片道35km、標高差2200m。アルプスの巨人、ガリビエ峠である。
同行者の若いNikhilは少しウォームアップをしたいというので、僕は彼を手前の街で降ろし、そこからさらに車を走らせた。登り口のSaint-Michel-de-Maurienneに車を停め、自転車を降ろす。乗り出しは朝八時。僕の好みからすれば、もっと涼しい早朝に出たかった。しかし、昨夜は夕立のおかげでよく眠れ、体調は万全だった。ゆっくり行けば登れるだろうという自信もあった。
ガリビエ峠には、ずっと憧れていた。Tour de Franceのテレビ中継に何度も現れる偉大な山。日本でもアメリカでも、僕の家の近所ではこれほどの標高差を一度に登ることはできない。この圧倒的な登りを、自分の脚でも辿ってみたい。そもそも今回のフランス自転車旅行を企画した発端は、アルプスを登りたいという思いであり、その中心にあったのがガリビエ峠だった。四週間にわたる旅の中でも、今日は特別な一日だった。
駐車場に車を止めたら、何人もの自転車人たちが彼らの車から自転車を出して、組み立てていた。そうかそうか、君たちもみんなガリビエ峠を目指すのか、と親近感が湧く。俺もだよ。ついにここまできてしまった。やっぱり、ここは特別なところなんだな、という思いが強まる。そのうち一人とちょっと言葉も交わした。
街を出て川を渡り、高速道路の下をくぐると、すぐに登りが始まった。高架の下にはガリビエ峠へようこそ、とでもいうような大きなストリートアートが描かれている。さらに進むと、小さな子供たちの集団が沿道から声援を送ってくれた。脇には彼らの自転車が投げ出されている。いつか自分たちもこの道を最後まで登りたいと思うのだろうか。人に声援を受けながら走るのは初めてだった。その声を背に、巨大な山へ入っていった。
さて、ここでガリビエ峠の構造の解説。僕がスタートしたのはSaint-Michel-de-Maurienneという谷底の街だ。ここから、まず800mくらい登って、テレグラフ峠というところを通る。これが前菜。下の町から、この峠のてっぺんの電波塔が見えている。そこからちょっと下って、Valloireという街へ。ここからメインディッシュが始まり、1200m登って標高2642m、雪山の間にあるガリビエ峠まで着く。酸素が薄く、過酷。ここで折り返し。Valloireの街に戻るまでは簡単なのだが、そこからテレグラフ峠まで150mくらいのちょっと登りがある。これがデザート。そういう三部構成のおもてなしが自転車人たちを待っている。ここ数日で、アルプスは山の上に山がそびえているような印象を持ち始めた。下の山を登ると高原にでて、そこから上の山を登るとようやく一番上まで行ける、2600mというのは、そういう高さだ。
「前菜」の道は林の中を進む。すぐに頭のスイッチが切れたような感覚になり、先のことを考えず、無心でペダルを回した。巨大なものに向き合う時、全体を見上げていても身体は前に進まない。今いる場所を、一歩ずつ登るしかない。写真を撮るたびに自転車を停め、それをペースを抑えるためにも使った。VentouxをSachaと登った時、ゆっくり進めば本当に楽になると知った。Madeleineでは、残りの距離を知らせる表示が、無心になるのを妨げることも知った。そこで得たものが、今日は身体の使い方になっていた。
前にも後ろにも多くのライダーがいた。林を縫う道を、小さな背中が連なって登っていく。さながら蟻の行列である。速さは違っても、誰もが同じ坂を上へ向かっていた。
僕は最初から一番軽いギアを使っていた。それなのに坂が続くと、もっと軽くならないものかと、指が無意識にレバーを押してしまう。何も変わらない。すでにこれが一番軽いギアなのだと気づき、少しがっかりする。
テレグラフ峠の頂上には、多くの人が集まって写真を撮っていた。普段なら、ここまで登れば十分に一日の目的になる。しかし今日は、ここが前菜の終わりにすぎない。少し下ると林が途切れ、視界が開けた。高原にはシャレーが建ち並び、Valloireの美しい街が現れた。冬にはスキー場になるのだろう。しかし街の中からすでに次の登りは始まっている。ここまで一緒だった自転車人の数は、いつの間にか随分減っていた。テレグラフ峠を目指していた人も多かったのだ。
Valloireを過ぎると、道の行方が遠くまで見えるようになった。澄んだ空気の向こうに岩山と雪がくっきりと見え、どちらを向いても山が圧倒的な姿で立っている。美しいのだが、視界が開けすぎているために、これから行く道まで見えてしまう。道は山肌を辿って、信じたくないほど高いところへ続いている。あそこまで行くのか、とたじろぎながらも、小走りほどの速さで一歩ずつ進んだ。
同じくらいの速度で登る人たちとは、次第に顔見知りになった。僕が写真を撮っている間に彼ら彼女らが前へ出て、僕がまた走り始めると追いつく。同じ顔が何度も現れる。僕と同じような中年のおばさんやおじさんも多く、みんな必死に、ゆっくりと登っていた。競争をしているわけではない。それでも互いの姿が道の先や後ろに見えるだけで、一人きりではないことがわかる。この日、この峠を目指したという一事だけで僕らは結ばれ、抜きつ抜かれつしながら同じ長い時間を進んでいた。
Alpe d’Huezでは、目の前の景色に言葉が追いつかず、ただ涙が出た。ガリビエ峠では、高くなるにつれて感動に立ち止まる余裕さえ薄くなっていった。身体の中で呼吸の占める場所が大きくなった。景色を見ていた頭から余計なものが消え、息を吸い、脚を動かすことだけが残った。
最後の数キロは本当に必死だった。人が集まっている頂上はもう見えている。それなのに、見えてからが遠い。坂がきついからなのか、空気が薄いからなのか、身体はそれまでとは違う苦しさを訴えていた。一瞬、息をするのを怠っただけで、立ちくらみの感覚が起きた。慌てて全力で呼吸を再開する。ペダルより先に、まず息を止めないことに集中した。
最軽量のギアをさらに軽くしようとした指も、遠くから何度も見かけたライダーたちの背中も、沿道でもらった子供たちの声も、全部がこの最後の登りへ続いていた。無心とは、何も感じないことではなかった。先の長さも、ここまで来た距離も考えず、次の呼吸と次の一踏みだけを繰り返すことだった。
ようやく着いた頂上はとても狭く、大勢の人で賑わっていた。反対側からはイベントの参加者たちが登ってきて、誰かが到着するたびに歓声が湧いた。しかし僕の中にあったのは、大きな歓喜というより、やっと終わった、という安心だった。ずっと憧れていた場所に立っている。それでも、その事実を味わうより先に、もう登らなくてよいことに身体が安堵していた。憧れの頂上で最後に残ったものは征服感ではなく、息を続けてここまで来られたという安堵だった。
折り返して下り始めると、自転車は驚くほどの速さで進んだ。それでも、Valloireまで下るには相応の時間が掛かった。下りながら、よくもこれほど長い道を登ってきたものだと思う。標高が下がるにつれて、空気が少しずつ暖かくなっていくのが肌でわかった。
Valloireで昼食にし、地元のビールと地元のソーセージを食べた。アルプスに来てからは暑さのせいもあり、ワインよりビールに手が伸びる。
食後のデザートは、テレグラフ峠までの登り返しである。短くても、下るつもりになっている脚にはキツい。標高が下がった分だけ暑さも増していた。途中で写真を撮っていると、トラブルだと思ったのか、一人のライダーが大丈夫かと声を掛けてくれた。やがて彼に追いつき、ガリビエ峠を登った記憶を交換した。彼は途中でタイヤがパンクし、大掛かりな修理をしたという。言われてみれば前輪と後輪のタイヤが違っていた。それでも諦めない、というのが、やはりこの峠の特別さを物語っているように思った。
テレグラフ峠を越え、あとは駐車場まで走り下りた。朝は林の中で涼しかった道も、下るほどに熱気が濃くなっていく。駐車場に戻った時、気温は三十八度になっていた。
そこには、朝に言葉を交わした若い自転車人がいた。山へ向かう前に会った人と、長い一日をそれぞれに走り終えた後で再会し、互いの帰還を喜んだ。頂上近くで足が揃い、一緒に走った別の自転車人もいた。彼は奥さんと二人でガリビエ峠を登り切っていた。脱帽。
朝の駐車場で自転車を組み立てていた人たち、沿道の子供たち、林の中を連なって進んだ人たち、Valloireから先で何度も抜きつ抜かれつした人たち、パンクを直して登り続けた人、頂上近くで足が揃った人。名前も知らない人たちと、この日は同じ山の時間を分け合った。峠を目指した人たちはそれぞれに上り、無事に下りてきた。ガリビエ峠で僕を迎えたのは、華やかな勝利ではなかった。薄い空気の中で呼吸を続けた身体の安堵と、一日限りの共同体の中へ戻ってきたような、静かな喜びだった。





