Tour de France: マルセイユ、人々の息吹

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フランス自転車旅行の三週目、僕はプロバンスの街Avignonの郊外に滞在していた。前日は短めのライドにしたので、今日は遠くまで走るつもりだった。朝の涼しいうちに家を出て、この地方でミストラルと呼ばれる北風を背に受けながら南の港町マルセイユへ行き、夕方の電車で帰ってくる。そういう計画で準備をしていた。

ところが、出発間際になって二つのことに気づいた。この日の予報は北風ではなく南風で、しかも十分後に最寄り駅へ行けば始発のマルセイユ行きに乗れる。先に電車で南へ下り、そこから追い風に乗って北上すれば、帰りの電車の時刻を気にせずに済む。

理屈ではその方がよい。しかし、朝の最も気持ちよい時間を車内で使ってしまう。そもそも十分後の列車に間に合うのか。玄関を出るか出ないかというところで必要以上に悩み、決められない自分に苛立った。考えている間にも残り時間は減っていく。結局、大急ぎで駅へ向かい、ちょうど入ってきた列車へ自転車ごと飛び乗った。こういう時こそ、悩まず大らかに、出たとこまかせにできるようになりたい。

始発では空いていた車内に、駅へ停まるたび人が増えていった。終着のマルセイユ駅にはTGVが入り、広いコンコースには売店が並び、大勢の人が足早に行き交っていた。これまで走ってきた小さな町の駅とは、人の数も歩く速度も違う。ここは観光地である前に、朝から大勢の人が動く大都市だった。

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マルセイユっ子はせっかちだった。信号が赤だろうが、車が来なければ人々はどんどん道を渡っていく。僕もその流れの間を縫い、自転車で丘へ向かった。マルセイユは海の街であると同時に坂の街でもある。水深があり、風から守られる港の背後で、地面が急にせり上がっている。街のあちこちから見える丘の上の大聖堂まで、朝一番から脚を使わされた。

大聖堂の中は、船の模型がたくさん天井から吊るされ、また船の絵がたくさん飾られていた。多分、航海の安全を祈願して人々が奉納するのだろう。そういう現世利益を願うのはキリスト教には珍しいように感じる。どちらかというと、神社の絵馬のような、東洋的な何か。この街にとても似合っているとも言える。

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そのまま、Le Panierという、下町地区でもいうべきところにつく。鶯谷、伊勢崎町、そんな感じの、猥雑なマルセイユの中でも一際猥雑な地区に。そこら中の壁がスプレーアートで埋め尽くされ、謎のオブジェや飾り付けがそこここの家でされており、不思議なお店や、何処へ続くのか分からない扉が並んでいる。まだ朝なのでこの街は眠っていたが、夜に来たらさぞ活気溢れるところだろうなと思わせる。あちこちに溢れる、海に関連するモチーフ。マルセイユの街への誇りを感じる、マルセイユっ子たちの息吹を感じる、そんな地区だった。人の匂いが濃い、とでもいうか。決して綺麗なところではないが、印象に残った。

中心部を抜け、海沿いを北へ向かうと、景色の主役が店や住居から倉庫と埠頭へ変わった。造船所には富豪向けの巨大なヨットがあり、荷物を待つトラックが列を作っている。ある一台では、運転席の窓から両脚だけが外へ突き出していた。その光景が強烈な印象を残した。

そんな殺風景な、機械と雑音と鋼鉄の街を、一人のおばさんが歩いていた。僕が彼女を追い抜くその一瞬、彼女は道端の草を手折り、鼻へ近付けて匂いを嗅いだ。その仕草が、僕の心に吹き込む清涼な風!ああいう心の余裕がもちたいものだ。こういう一瞬の遭遇が印象に残ったりするのが、旅の面白いところだ。

街を背後へ送り、前をも知らない柄の悪そうな街の舗装の荒れた道を進んだ。L’Estaqueで折れると、この日一番の上りが始まった。採石場の脇を抜け、マルセイユ空港のそばへ出る頃には、朝の涼しさはもう消えていた。陽射しが路面からも照り返し、身体を上下から焼いた。

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その時、路面に飛行機のくっきりとした影が落ち、後ろから僕を追い抜いていった。直後に頭上からエンジンの轟音が降ってきた。一瞬だけ、着陸直前の飛行機との競走になった。着陸寸前の速度だから、相手は本気ですらない。それなのに、影はあっという間に前方へ消え、僕だけが熱い道路に残された。

空腹を意識して立ち止まると、目の前にbrasserieがあった。フランスでは正午前から開いている店が少ない中、そこはもう客を迎えていた。店にいた二人の女性には英語が通じず、僕には二人のフランス語が分からない。おそらく今日の定食について説明してくれていたのだが、献立を書いた黒板も見当たらなかった。

何でもよいというつもりで返事をすると、一人が僕をキッチンまで連れていった。言葉で説明する代わりに、料理そのものを見せて選ばせてくれたのである。デザートも同じ調子だった。出てきたのは、パプリカに米と肉を詰めて焼いた家庭料理のような一皿と、アップルパイだった。どちらもおいしかった。

店の名は「小さなノルウェー」という意味だった。ノルウェーの色でもあり、地中海にも似合う鮮やかな赤が店のあちこちに使われ、真っ赤なサンシェードの下には風が通っていた。喉が渇き、腹が減り、強い太陽の下を一人で走ってきた身体に、食べ物と飲み物と日陰が一度に戻ってきた。椅子に座って食べているうちに、本当に生き返った。

店を出ると、しばらく街が途切れた。湖沿いの道路は高速道路かと思うほど太く、車は速く、僕は長い直線の路肩をちょっとヒヤヒヤしながら走った。眠りこけたような真夏の大地。灼熱の太陽を遮るものは何もなく、この湖がなかったら全て死に絶えてアメリカのネバダ州みたいになるのではないか、という気さえする。過酷なところだった。

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湖を離れると、再び小さな町が現れ始めた。町を一つ通るたびに休憩し、ビール、コーラ、アイスクリームの順番でローテーションしていく。自分がかなり疲れていることは分かったが、幸い、日が沈むのは九時過ぎだから、この昼の一番暑い時をやりすごせば、電車の時間とかは気にせずいつでも家に帰れる。

Salon-de-Provenceまで来て、Sachaが教えてくれた石鹸工場へ立ち寄る。オリーブオイルと灰のアルカリで作る、マルセイユ石鹸という伝統を今も守っているらしい。昔の、ちょっとした化学工場だ。巨大な桶に液体を入れてかき混ぜ、大きな塊にかたまったら、それを機械で切って四角にし、刻印を押していく…。18-19世紀くらいの工場の印象を受ける。鉄と木製の巨大な道具たち。あのSachaが、よりによって石鹸に入れ込んでいるというのもちょっと可笑しかった。彼は自分の洗濯洗剤は自分で作っていると言っていた。

この街ではアイスクリームの順番。運動している身体は甘さも求めている。そして、暑さはピーク。おいしい。食べながら道行く人を観察する。フランスのこういうお店のテラスで閉口するのは、喫煙率がとても高いということ。フランス的な格好良さというのにはタバコが大事な小道具になっている。綺麗な若い女の子が、慣れた手つきで紫煙をくゆらせていたりする。それもフランスだ!

次の街、Senasではビールの順番。ダウンタウンは昼時でゴーストタウンだったが、一軒だけバーがやっていて助かった!暗い店内に避難して、しばらく休憩。ここで飲んだ地元のクラフトビールは、ラベンダーの香りがついていた。さすが、プロバンス。名前も顔も知らない作り手の気持ちを受け取った気がする。

次の街はCavaillon。メロンの産地。次はアイスクリームの順番。入ってみたら、アバンギャルドな、これまた実にフランスらしい前衛的なお店で感激した。せっかくメロンの産地だからメロンのアイスを注文したのだが、残念ながら、これは今ひとつだった。でも、店内の雰囲気は最高だ。今日はそういう濃いものによく出会う。

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ここにはもう一つ、中世のユダヤ人居住区があるというので、深い考えもなしに訪れてみた。「区」といっても本当に街路一つだけ。当時、ユダヤ人は迫害されていたのだが、それでも、この辺は教皇領だったので住むことができたらしい。とても劣悪な環境だったと思うが、彼らのシナゴーグが残っていて、それをガイドの女性が案内してくれた。参加者は僕だけ!

ほとんど陽の光の差し込まないところに詰め込まれるようにして住んでいたのだと思うが、このシナゴーグだけは天井が高くて陽光も注ぐ明るい部屋だった。大変な生活にあって、ここだけは心を高揚させ浄化する場所だったのだろうなと思う。外界から隔絶されていて、シナゴーグを作る技術もなかったからか、現地のフランス人大工たちが作ったとのことで、フランス王宮風の装飾になっているのも面白い。進化というのは、こうやって外界と隔絶されて起こるのだな、などと考える。

ユダヤ教、というと、そんなに迫害されるならキリスト教に乗り換えたらいいじゃない、熱心な信者だな…と子供の頃は思っていたのですが、大人になって僕の考えはちょっと変わった。神の存在のように、信仰の中核もあるが、ユダヤ教というのはもう単なる宗教ではなく、生活様式であり、食べ物であり、子供の成長のお祝いであり、立ち居振る舞いの規則であり、すなわち生き方を包摂している。イスラエルを何度も訪れるうちに、そういう存在のように思うようになった。人間は、変えたくても、生き方を変えることはできない生き物。僕がアメリカに25年住んでも白米を食べ正月を祝うのと似ている。だから、あの時代のユダヤ人たちも、自分たちの知っている生き方を続けていく以外何もできなかったのだろうなと想像する。そして、そういう文化が違う人たちが一緒に住もうとすると上手くできなくて、自然と同じ人たちでかたまって住み始め、断絶が生まれる。悲しいかな、非常に人間的だ。

この綺麗なシナゴーグは実は男性専用で、女性はその下の別なところに集められていた、と案内されて下の部屋にも行ってみた。上の階の綺麗な装飾と日光とは対照的に、岩丸だしの冷たい肌、小さな窓が一つの空間。ユダヤ教徒も虐げられているけど、世界中で女性ほど普遍的に虐げられてきた存在も中々ないよなと思う。ここのユダヤ教徒コミュニティも、自分たちが虐げられる側でその辛さが分かっているはずなのに、その小さな集団の中で更にこうやって格差を作るんだよなぁ…。人間の悲しさよ。差別、分離、その構図は今も変わっていないように思う。黒人、移民、具体的な属性が変わるだけ。お客は僕一人だったので、こういう感想をガイドさんと交換し、暫く人の業の深さを考えた。

外へ出ると日は少し傾き、暑さもわずかに和らいでいた。このまま家へ向かう前に、L’Isle-sur-la-Sorgueへ寄ることにした。滞在している家にこの町を描いた絵が飾られていて、実物を見てみたかったのである。

町はSorgue川の中州にできていた。数日前、岩の間から地下水が突然大きな川となって現れる源流を見ていた。その水がここまで流れ、町の中をいくつにも分かれて通り、苔むした水車を回している。道を走っていても、絶えずせせらぎが聞こえた。

lisle-sur-la-sorgue

川岸に、座ったまま水へ足を入れられる場所があった。自転車を止め、靴と靴下を脱いで足を浸した。地下から出てきた水は驚くほど冷たく、暑い一日の終わりには気持ちよかった。水草が足の裏をくすぐりながら流れていく。背中に当たる夕方の陽射しは、昼よりも少しだけ優しい。周りでも人々が同じように足を水へ入れ、会話をしていた。朝から駅、港、工業地帯、乾いた道路を通り抜けてきて、ようやく身体の速度が水の流れまで落ちた。

ここで夕食まで済ませたくなったが、家には週末までに食べるものが残っていた。ワールドカップ予選を見る人々と、そばではしゃぐ犬を横目に、ビールを一杯だけ飲んで帰路についた。

家に着いた時、走行距離は130kmになっていた。久々の遠出だった。大聖堂の船、埠頭のトラック、草を嗅ぐ女性、飛行機の影、brasserieの二人、巨大な石鹸の桶、上下二つの祈りの部屋、足裏を撫でる水草。一度に消化しきれないほどの多くを一度に受け取った。この、旅が上げてくれる人生の濃度が、麻薬のように僕を惹き付ける。

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