河井継之助

秋に行く自転車旅行で訪れる土地の一つ、新潟の小千谷について調べていて、幕末から戊辰戦争に掛けてこの地で活躍した河井継之助という人物の事を知った。「時代を読む」という武士らしくない力と、「時代に従わない倫理」という武士らしい力を同時に持っていた人物。気がつけば、彼のことを調べるのに夢中になっていた。

若い頃に、東も西も、日本中を巡って遊学している。当時の藩のエリート教育というのはこんな感じだったのかな…と思いきや、自腹だという。この時代にありがちな攘夷論者ではなく、かといって佐幕論者でもなく、幕府は駄目だと思っていたみたいだし、西洋に学んで国力を高めなければ、とも思うに至ったらしい。実に慧眼。そして、幕末の時代が激変する瞬間に、現場に居合わせている。鳥羽伏見の戦いを見て、江戸に戻り、江戸の藩邸を処分してお金を作り、商いでそのお金を増やし、武器を買い、長岡に戻る。自分の目で確かめ正しい判断をするだけでなく、経済実務もできてしまう。

そして、そんな型破りの人が、戊辰戦争時には家老になっている。本人もよほど傑物だったのに違いないが、こういう型破りの人間をちゃんと評価して出世させる長岡藩もまたすごい。

時代の趨勢は見えている。幕府の時代は、いや侍の時代は終わりだという事もわかっている。それでいて、譜代大名家として徳川家への御恩という義を捨てることを良しとしない。士道の倫理・美の追求、と呼ぶよりほかはない。時代が変化する圧倒的な速度を彼は知っていたからこそ、この期に及んで大事にすべきは倫理である、義である、と思ったのではないだろうか。難しい決断に直面した時に、功利損得ではなく、自分の思想信条を大事にする。

言い換えれば、武士としての倫理観が、藩を存続させるための方策を許さなかった。それどころか、彼はこの倫理観を自分の命より上においていて、和平交渉が決裂した後で、同僚に「俺の首と三万両を持参すれば戦争は避けられる」と、自分の命を差し出しているのである。武士道の精神的な特異性の結晶とでも呼ぶしかない。感激した。

その一方で、彼が意図的に決断した戦いの先で、長岡は激戦地となり、街は火の海、両軍・地元民に多くの死傷者が出る。そこに為政者としての責任はないのだろうか。恭順を選べば、間違いなく街への被害は避けられた。

調べるうちに、司馬遼太郎が「峠」という本でまさにこの河井継之助の事を書いているのを知り、貪り読んだ。作中の河井は、自分の行動の原理・考え方を、周囲の人に言葉を尽くしては語らない。というか、語らなさすぎて、見ているこっちがあんまりだと思うくらいだ。その代わり、義と現実の狭間でギリギリ筋を通そうとした彼の振る舞い、それが叶わず長岡が火の海になる悲劇・無念を、敵側であった長州人の言葉や、現代の長岡で司馬遼太郎が出会う何人かの人々の立ち居振る舞いで、代弁させるのである。

作中の河井に語らせすぎず、行動をちゃんと見せていくことで想像させる余地を作る。それでいて、作者の考えはちゃんと提示してある、素晴らしい作品だった。

小説を読む前は、小千谷会談が決裂し、政治の段階が尽きていよいよ戦争しかなくなった時点で、彼の心はどこか晴れて軽くなったのではないかと思っていた。やれることはやったという満足と、結果が出て迷うことがなくなり、ここから先は戦争のことだけ・美学の完成だけを考えればいいという気楽さ、とでもいおうか。でも、作中に提示される史実からは、そんな晴れやかさはなかったように感じられた。彼は、最後までなんとか戦いを避けようとし、あるいは戦いでの勝利をどうやって政治に繋いでいくか、その事をずっと考え続けていたようだった。

滅びゆく幕府の側の人であったこと、長岡藩が小さく越後という辺境であったこと、そして歴史の趨勢は既に決まっていたこと。活躍の場も小さく、坂本龍馬とか勝海舟とかと比べると知名度も一段劣るかもと思う。そうであっても、美しく生きることの意味は些かも損なわれることはないように感じた。そして、輝きのピークであっさりと生が途切れてしまう、その余白がまた輝きを際立たせる。

本も素晴らしいが、やはりこの人生が素晴らしすぎる。心が震えた。

comments powered by Disqus