この日、僕は瀬戸内海というものを少し誤解していたことに気づいた。海は島々を隔てているのではない。むしろ、この土地では海こそが分業と協業の舞台であり、道なのだ。
今朝も日の出前の早朝五時からスタート。四国は平地が少なく、道も限られていて、だからどこの道路もすごい交通量。トラックが行き交っている。道路が傷んでいて、それが手や尻からダイレクトに伝わってくる。
西条では、また今治造船の造船所の隣をゆく。日本の最大手だけあって、瀬戸内のそこら中に造船所が点々としている。青い作業服の男達が自転車で造船所へ吸い込まれていくのを見て、昨日の朝に見た造船所のことを思い出した。のどかな光景の中に唐突に出現した巨大な造船所。造船所の通り向かいには社員寮が建っていて、そこここの窓から洗濯物が干されているのが見える。ここに住み、船を作る暮らしを想像した。行く場所も、大した娯楽もあるようには見えない。隣人達とワイワイと楽しく過ごし、朝な夕なに美しい景色を眺め、それぞれの職人芸の求道に打ち込む、そんなどこか修道士のような暮らしを、勝手に思い描いた。早朝で人影は見えず、想像の当否を確かめるすべもなかった。しかし今日は、その想像の中の人々が、青い作業服を着て目の前を走っている。
あの造船所では、ド派手なピンク色の巨大なコンテナ船をなんと三隻も同時に建造していた。ONEと大きくロゴが入っている。調べてみると、これは日本郵船、商船三井、川崎汽船がコンテナ輸送部門を切り離して合併させて出来た会社だというので驚いた。本社はシンガポール、でも確かに役員の名前には日本人が多い。昨日のジャパン・マリン・ユナイテッドといい、世界と闘うために日本の会社はこういうふうに進化しているのか…と嬉しいような、しかし気持ちが海へ向いている会社は服でも着替えるように日本的な何かを捨ててしまうのが寂しいような…。海と対峙する人々には、国境線など陸に閉じ込められた人々の作った虚構に過ぎないのかもしれない。
瀬戸内海を見ていると、中国地方と四国地方という分け方も、陸のことしか考えない関東人?明治の中央政府?の考え方なような気がしてならない。海を船で渡ることで、瀬戸内海は一つに繋がっているのだ。この辺の島々の距離、船の数、そして陸の道路の貧弱さを見ると、それがとても明らかだ。反対に、山は昔から越えられない壁だった。天気だって山で隔てられるから降水量も植生も変わり、作物や食だって変わらざるをえない。だから、山陽と山陰は全然違うし、土佐もまた瀬戸内とは違う地方なのだ。日本列島の地図を見ていてそんな事は考えたこともなかったが、そういう事は、この土地を走ればすぐに分かる。
一本道をよいことに、そんな夢想にふける僕の脇を、海岸の工場地帯は続く。いったいどれだけの工場があるのだろう。そもそも、「工場」という括りだって粗雑にすぎる。名前からはどう専門化しているのか想像もつかないところもたくさんあるが、果てしなく多様だ。こうして分業・専門化された工場が、瀬戸内の海という巨大な道で一つに繋がる、それが瀬戸内の人々の営みだ。
住友鉱山の工場の銘板を見て、そういえば、別子銅山はこの辺りだと思い、せっかくなので寄り道することにした。
海沿いの道を離れ、久々に山へと向かう。車通りはほとんどなく、静かな山登り。山中では猿にも遭遇した。僕も驚いたが、向こうはもっと驚いていた。ほどなく、山中の別子銅山の入口の一つについた。
残念ながら、月曜日という事で資料館などはみんな休みだったが、旧坑道を展示に改造したトンネルがあり、そこは見る事が出来た。この場所で280年ものあいだ地下にこもって文字通り血と汗を流し続けた山の人々。特に、江戸時代、人が動力を提供していた時代の話に感激した。鉱山の天敵、水。間断なく湧いてくる地下水を排水しないと、切羽が水没してしまう。現代はポンプを動かせばいいだけの話だが、江戸時代は、人が数珠つなぎになり、バケツリレーのような方式で24時間交代で排水をしていたそうだ。想像を絶する単純労働、そして想像を絶するコスト。銅というのはさぞかし貴重で高価なものだったに違いない。昭和の時代。岩を砕く鉱夫達の映像が残っていた。彼等の面構えよ!ベルトコンベアに乗ってくる砕いた岩を選別していたのは女達だった。そして、修学旅行なのか、社会科見学なのか、軽便鉄道に嬉々として我先に乗り込む子供達の姿。
今は静かなこの廃坑は、江戸時代の昔から、誇り高い男達女達の、最高に格好いい花形の職場だったのだ。この人達の活躍の上に、この新居浜の街と、住友財閥と、何なら近代日本が支えられていたのだ。痺れた。住友鉱山と堂々と揮毫された銘板に、彼らの誇りがにじみ出るようだ。そうだよ、こういうのがいいんだよ。会社よりももっと大きな何かを背負ってくれて、本当にありがとう。
別子銅山はもう50年も前に閉山しているが、ということは、現代の鉱山はどうなっているのか、という事にも興味が出てくる。コンピュータ、ロボット、通信技術…。そういえば、以前見学したNew York Air Brakeという会社は、貨物列車の自動運転システムを作っており、それはオーストラリアの鉱山で使われていると言っていた。超巨大なトラックの写真も見た事がある。調べていったら実に面白そうだ。
そんなことを考えながら、肌寒い坑道内の展示から出てくると、外がまばゆい。山を颯爽と駆け下り、海沿いの道に戻る。
海沿いの工場群は本当に尽きることがない。四国中央市では、大王製紙の巨大な工場。造船所を越えるあまりの大きさに度肝を抜かれた。しかも、木のいい匂いがしている。木を効率良くパルプにするのに、キロメートル単位の巨大な設備が必要らしい。パイプが縦横無尽に走り、その中を何かが高速で移動している音がする。見学した過ぎる!人類の技術の最先端が見たい!…と思いながらも、僕にできるのはペダルを回してその巨大さの横を通り過ぎることだけだった。
お昼はうどん。この辺ではセルフうどんというのが多いが、門外漢の僕は緊張する。幸い、僕がよそ者だという事はすぐに分かるらしく、店員が手伝ってくれて助かった。それでいて、釜玉うどんにつゆを入れてしまうという、地元民的には初歩的な失敗をしてしまう。また挑戦しようと心に誓う。しかし、二度目のランチを探す頃には、どこも「玉切れ終了」という看板になっていて、今日は一度しか入る事が出来なかった。残念だ。
事故で全く動かない車の大渋滞を横目にスイスイと進み、観音寺から先は大通りを離れて海岸沿いの美しい景色をゆき、そのまま丸亀の海沿いの大型ホテルへと滑り込んだ。目の前は競艇場!やっていたら、ぜひ社会科見学を兼ねて行ってみたかった。
繁華街からはちょっと離れていたので、ホテルの中のレストランで食事にした。ここはクラフトビールが最高であった。何気なく注文した瓶を見てみると、企画元は四国計測工業。ビールと何の関係もない硬派な会社ではないか。調べてみると、本業のLED開発で食べ物を熟成させる装置を開発してしまったので、それをホップに転用して、地元のイチゴとあわせて、余興でクラフトビールを作ったらしい。専門性の高い細分化された仕事と、土地の繋がりが可能にしたコラボ。実に瀬戸内海らしいではないか。気分がよくなり、別なクラフトビールも注文してみたら、今度の瓶には日本海水と書いてある。製塩の会社。製塩の余りとして出来る、ミネラル分が濃縮されたにがり、そして水。これを使ってビールを造っているらしい。電気屋の余興と、塩屋の余興。そして、そういう地元ビールを選んで店に置く心意気。物語がありすぎる。心底感激した。
四本のクラフトビールに、海が繋ぐ人々の営みを感じながら、少しぼうっとした頭で眠りについた。





