瀬戸内自転車の旅 二日目: 夢の国

(前書きを読んでいない場合は、こちらからどうぞ)

この日、僕が旅したのが現実の世界なのか夢の国なのか、それさえも定かでないように感じる。

まだ夜明け前の竹原を出発し、しまなみ海道の起点、尾道へと海岸沿いを進んでいく。海岸を抱くような一本道は静かで、集落も小さく、のどかで気持ちが落ち着く。空が白み、淡く色付き、穏やかな海を虹色に染めていく。朝霧で遠近感を持った島々の影。なんと荘厳な。圧倒的な光景だ。

瀬戸内の日の出

忠海という街を通り過ぎる。小さな漁村だが、名前の響きの美しさが印象に残った。由来を調べてみたら、源平の時代にまで遡るらしい。ここを舞台に、エデンの海、という物語が執筆された、という碑が建っていた。この海の優しさを表すのにエデンの園とは、また何とも見事なタイトルをつけたものだ。

そのまま海沿いを尾道へ。尾道はしまなみ海道の起点という事もあり、サイクリストがうようよしている。ここまで電車で来る人も多そうだ。しかし、僕は朝なのでコーヒーが飲みたいなと思っていたところへ、尾道浪漫珈琲といういかにも昭和レトロな素敵な喫茶店が現れたので、しまなみ海道を始める前に休憩することにした。

店内に入ると、コーヒーの良い香りに一気に包まれる。僕は、サイフォンコーヒーというのは初めてである。バーテンダー?バリスタ?の目の前のカウンターに座ったので、彼がサイフォンコーヒーを作るのを間近に観察できた。水蒸気の力で、一見不可解な踊るようなお湯の動き。実に目で見ていて楽しい。物理の知識でこの原理を確認し、納得する。コーヒーという飲み物の持つそもそもの心の余裕を体現する、実に雅な作り方で、気に入った。面倒くさくて家ではやる気にならないものをお店で見せてくれる、というのも最高だし、火傷しそうな熱さのものを素手で扱っていく、慣れた店員の鮮やかな手つき、そういうのもとてもよかった。後ろのテーブルから聞こえてくる、関西弁のおば様たちの楽しそうな噂話。

サイフォンコーヒー

熟練の技で盛り上がった気持ちのままで、渡し船で向かいの島へ渡る。しまなみ海道はここから!この渡し船の船長も運転に熟練していて、接岸しても船をもやいもしない。こんなところにも職人の熟練芸が!

しまなみ海道は、映画のように美しい瀬戸内の世界を進んでいく素晴らしいルートだった。道路にはルートを示す青い線がピッと一本引かれている。左右に曲がる道は視界の変化を生み、その都度この先に何があるのか、期待感を盛り上げる。橋へと登っていく時の、ペダルの心地よい踏みごたえ。島から島へと渡る橋は、けっこう高い所を通っていて、眺望は抜群だ。反対側で下る時の爽快さ。海からの風は涼しく、それでいて太陽の光は眩い。ゆっくりと進む船が作る穏やかな時間の流れ。真剣そうなロードバイクのサイクリストも、普段着のレンタサイクル観光客も、それぞれのペースで走っている。外国人も結構多い。道沿いには僕の気を惹くお店もたくさん…。

時間に余裕もあるし、この美しい世界にもっと身を浸していたくて、ルートを外れて小さな島をぐるりと一回りしてみた。高根島。人の気配が急になくなり、キャンプ場を一つ通り過ぎたあとは、波打ち際の水の音、鳥の鳴き声、青い大きな空、強い日差し。まるでここが自分の田舎で、帰省したような、そんな錯覚を覚える。ノスタルジックな、想像の中の田舎の世界。

しまなみ海道

一方で、ルートを離れるとすぐに人がいなくなる、というのは、田舎の現実でもある。昼下がりだというのに寝静まったような家々。人は住んでいるのだろうか。夢幻のようなところ。

ちょうど時間なのか、眼下の海では潮の流れが恐ろしい速度で島と島の間の狭い水道を抜けていた。なるほど、狭いところでは潮目次第では潮流はとても荒かろう。瀬戸内の海は優しいだけではないのだ。こういう潮の流れが、村上海賊などの勃興に繋がったらしい。なるほど、人の営みというのは、これほども自然のありように左右されるのだ。そういう事を読み解いていくのが楽しい。

最後に、今日一番の大きな橋を越え、四国は今治に上陸。一際大きな今治造船の造船所に寄って写真を撮り、今治城に急ぎ立ち寄ってまた写真を撮り、そのままスーパー銭湯で汗を流す。サイクリスト御用達というこのスーパー銭湯は、壁面一杯に浮世絵のような絵柄で現代日本が描かれており、地元民で賑やかで生活感があり、とてもよかった。併設のレストランでビールを飲み、ご飯を食べ、しばし忘我した。身体を動かした後のこの瞬間は、法悦というか、僕が悟りの境地に一番近付く瞬間だ。

今日はこれで終わりかなとホテルの一階で休憩していると、僕のサイクリスト然とした格好を目にして、おじさんが話し掛けてくれた。彼は僕より一回り年上で、建設業の技術営業をやっていたが、引退して、今はテニスやら自転車やら中国語やら写真やら絵やらをやっているという事だった。好奇心とエネルギーに溢れていて、まぶしいくらいだ。話し込むと、なんとさっき渡ってきた「今日一番の大きな橋」の建設に関わっていたらしい。明日は自転車を借りて自分の作った橋の上を渡り、しまなみ海道をゆくのだとの事。胸熱すぎる!

鉄板焼き鳥

今日の総仕上げに、近所で今治名物の鉄板焼き鳥。住宅街の真ん中にポツネンとあり、中は混んでいる。真っ黒な油汚れが勲章のような、古めかしいお店。最高すぎる。名物の皮焼きや、瀬戸内海のレモンを使ったレモンサワーを頂き、夢幻の美しい国から、人の匂いのする現実世界に戻ってきたような気になった。

旅が楽しすぎる。

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