ガリバルディとカブール

旅の予習でイタリアの歴史について勉強していたら、19世紀にイタリアに統一国家が出来るにあたって、ガリバルディとカブールという二人の男が果たした数奇な役割に出くわした。

ガリバルディは、ゲリラ戦の英雄。彼はイタリア統一という夢に人生を賭けている。義勇軍を作り上げ、イタリアの各地を「解放」していくのである。圧倒的な軍事的成功。彼の人気はダダ上りである。

カブールはその時、北イタリアにあったサルディーニャ王国の辣腕政治家である。この立憲君主制の王国を背骨に、自由な強い進歩的な社会を作りたい。弱肉強食のヨーロッパの国際政治の中で独り立ちできる、強い国を作りたい。

ガリバルディは軍事指導者としてすごく力があって、イタリア統一の理想にも燃えているので、とにかくさっさとあちこちと戦争して、領土を「解放」し、イタリア全土を一つの統治体制の下にまとめたい。

一方、カブールは政治家で、国際関係もちゃんと見えているから、戦いには機があり、うかつなタイミングでうかつな敵に喧嘩を売ってしまうと、サルディーニャ王国自体が滅んでしまうと考えている。

いわば、統一イタリアと独立イタリア。どっちも理想に燃えているが、燃えている理想が違う。ガリバルディには目的の純粋さがあり、カブールには実現可能性という冷徹さがある。そういう感じなので、二人の対立は先鋭化する。ガリバルディはカブールを罷免するように国王に要求するが失敗し、カブールはカブールで、ガリバルディから義勇軍を取り上げてしまう。この二人には、お互いの信義、論理、そういった人間関係の根底にある絆が、ない。

例えば、カブールは、ガリバルディの生まれ故郷、ニースをフランスに割譲してしまう。確かに、フランスを敵に回すことはできない。でも、イタリア統一を夢にするイタリア人ガリバルディが、自分の故郷はイタリアでなくなったと聞いた時の怒りと悲しみを想像してほしい。

こういう二人を繋ぎ止める存在が、サルディーニャ王国の国王、エマヌエーレ2世である。カブールの君主であり、ガリバルディにとっては、この王国を母体に統一イタリアを作りたい、そういう存在である。二人のボクサーをリングに閉じ込めるロープのような役割。そして、面倒くさいことに、このロープにも思惑と野心がある。

ガリバルディとカブールに話を戻す。

大嫌いなやつ。自分と、自分の夢を滅ぼしかねないやつ。しかし、避けて通ることの出来ないやつ。ライバル…というと何か前向きで熱血な感じがするが、そんなでもない。天敵、とでも言おうか。能力があることは誰より分かっている。だからこそ怖い。

しかし、そんな天敵同士の二人が、それぞれに色々動き、潰し合い、喧嘩をした結果として、色々な問題をはらみつつもイタリアは統一されるのである。本当にかろうじて。どちらが欠けていても、イタリアの統一はなかった。

しかも、それはお互いが得意分野で補完し合った…という美しい物語ではない。互いを掣肘しあう事自体が、イタリア統一という結果に繋がっている。切磋琢磨してお互いの最高を引き出す尊敬すべきライバル、というのでもない。相手が自分を潰しにきたところが、後世の人間から見ると、自分が間違っている・及んでいないところにピタリとなっている。

こんな物語の類型は初めてだ。非常に考えさせられる。敵同士でもない。しかし、明らかに味方ではない。大きなミッションを達成するにあたって、使命を共にする仲間は必ずしも必要ない。そんな事ってあるだろうか、という反例がここにある。有用な多様性というのは、綺麗事ではない。対立を排除しないことが、場合によっては系全体の強靱さを生む。実にマキャベリの国らしいではないか。誰だ、イタリアを陽気な人々の国だなどと言ったのは。

死後の国があるとしたら、彼らは、二人の共同作業となった自分たちの偉業についてどう考えているのか、ぜひ誰かインタビューしてきてほしい。お互いに、憎きアイツを骨の髄まで利用して自分の目的を叶えてやったぜ、と思うだろうか。互いへの尊敬の念もあるのだろうか。相手がいなければ、自分の夢が叶わなかったことについてどう思っているのだろうか。自分の及ばないところを一番ちゃんとわかっているのが、自分の一番嫌いなやつだというのは、どういう気持ちだろうか。彼らはそれを互いに認めることが出来るだろうか。

そして、これを学生時代に学ぶイタリアの知識人達は、どういう風にこれを咀嚼しているのだろうか。イタリアで出会った人に聞いてみたい事が、一つ増えた。

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