あなたが涙なしには見られない物語って、何ですか?
Tour de Franceは毎年7月にフランスで開催される、歴史と伝統のある世界最高峰の自転車レースである。200人弱のプロライダーが、フランスの各地を巡りながら、一日150-200km位を、三週間に渡って毎日レースするという過酷な競技である。
そんな事をいっても、一般人にとっては、そうですか、自転車でそんな距離を走るなんて、信じられませんね、すごいですね、物好きなことですね、くらいで終わるのが関の山であろう。
このドキュメンタリーを見ると、各チームの監督や、選手達が、Tour de Franceに賭けている思いが切々と伝わってくるのである。冷静な肉声。振り回される腕。怒号。涙。苦しげな表情。下り坂を走行中の事故で死んだ人もいる。人生を、文字通り命を賭けてやっているのだ。
自転車レースごときの、いやプロスポーツのどこにそんな価値があるのか。正直、僕も若い時はそんな風に思っていた。世界を前進させるのに何の貢献もしない、お金持ちの贅沢。見る人にとっては一時の娯楽。そういう見方も間違ってはいない。だが、今の僕はハッキリ言える。その見方はあまりにも勿体ない、と。
Tour de Franceの歴史はもう120年位になる。それだけの間、多くの人が真摯に真剣に全身全霊を賭けてきた。そういう真剣さの蓄積を、伝統や文化や歴史と呼ぶ。それが、観客を、若い選手を、人々をこのレースに向かわせるのだ。
シーズン1では、2022年のTour de Franceを追っていく。この年、僕は毎日レースのダイジェストを見ていた。自転車レースはマラソンのような耐久スポーツの側面もあるが、ポーカーのような頭脳戦・駆け引きの側面もあるから、レースの展開を要所要所追っていけるダイジェスト版では手に汗握ったし、ドラマティックな場面も幾つもあり、何度も涙したのを覚えている。
しかし、レースの映像というのは、解像度も粗いし、空撮や併走するバイクから撮っていて、ちょっと漂白されているのだな、という事が、このドキュメンタリーをみて分かってしまった。
選手の視線。時速60km。それでいて人混みのような超至近距離。一瞬の油断が、恐ろしい大惨事につながる極限の世界。そして、この速度で疾走する自転車の集団が観客の目の前を通り過ぎると、観客達は何を感じるのか。子供の帽子が飛ばされないように、手で押さえるお母さん。その風圧の迫力を想像してみてほしい。
スローモーションでくっきりと映し出される選手達の喜怒哀楽。150km走って4000m分の標高差を登るということが、どれだけ大変な労働なのか。僕もロードバイクに乗って走るのが大好きなので、自分の体験を延長して、彼等の運動能力の比類ない高さと、耐え忍んでいる苦痛が、たやすく想像出来るのである。
選手のインタビュー映像。どういう思いで、あの日のレースに挑んだのか、彼等にとってTour de Franceとは何なのか、それがすごく強く伝わってくる。レースの映像だけを見ていても、そういう生の人間の思いまでは伝わってこない。俺たちはフランスの国旗を背負って走っている、という選手。あの美しい三色旗のデザインで作られた、皮膚のように薄いポリウレタンのユニフォームを纏う、その思いを想像してほしい。彼が地元を走る時、沿道にみんな彼の名前を振って応援しに人が来てくれる。苦しい登り坂で、それが彼の背中に翼をはやすが、しかし、勝つことができない。その時の心境を想像すると…!あるいは、普段お調子者でおちゃらけた選手が、僅差で勝利を逃し続けた挙げ句、最後にようやくゴールラインを先頭で切ることに成功する。勝利のインタビューを受け、彼は言葉に詰まり、テレビの前では泣けないよね、といいながら、涙して何も言えなくなってしまう。
自転車の国の誇り。家族。チームの仲間への責任。たくさんのものを背負い、身体が悲鳴を上げてもう止めろ、と叫ぶ時に、その重荷を前へ進む力に変えているのだ。
その強さ、悔しさ、喜び、そういう感情を目の前に見せられたら、やはり心震えずにはいられない。「中年のオッサンがスポーツ観戦に嵌まる」という、ひどくありきたりのムーブを、言葉を費やして説明すると、そういう事になる。
先日、Javaのドキュメンタリーを見に行った時に、僕ならこの物語をどう伝えるだろうか、と考えたことを思い出した。このTour de Franceのドキュメンタリーは、素材も一流だが、作り手も一流だった。インタビュー画像のほとんどは選手や監督なのだが、二人だけ、当事者でない人が出てくる。彼等が、作り手の言いたいことを喋る役割を果たしている。これから展開する物語をどう見たらいいのか、その視点をスッと手渡される。Tour de Franceの三週間の熱戦の中で、ちゃんと幾つかの物語を切り出し、それを伝えている。人間の物語である以上、物語には普遍性があり、その物語を理解するのに、別に自転車競技の技術的な側面についての知識は必要ない。いいドキュメンタリーって、そういうものではないか、という風に僕の理解は進歩した。
Tour de France: Unchained、ぜひ見てほしい。フランスでこれだけ多くの人を惹き付ける、聞き慣れない競技。その輝きに、ぜひ触れてほしい。