6月のある日、僕は太平洋の上を東京へ向かって飛んでいた。日付変更線の辺りだったから、正確な日にちはわからない。空は抜けるように青く、眼下は一面の雲海。エンジンの単調な頼もしい音が機内を包んでいる。僕がずっと待っていたDocuSignからのメールがようやく届き、僕はそれに電子署名をして送り返した。 このとても簡単な儀式で、僕がこの四年間取り組んできたLaunchableというスタートアップは売却され、僕をはじめ多くの人の人生に一つの区切りがついた。
はじまり
4年前のとある日曜日、人気のないPalo Altoの知人の会社のオフィスの一室で、僕は昔からの友人であり同僚であるHarpreet Singhと、次のスタートアップの作戦を練っていた。彼は、前職のCloudBeesでは机を並べて10年近く二人三脚で仕事をした戦友だ。我々の育てた製品でCloudBeesを創業から年商$100Mまで育てたという自負があった。CloudBeesを離れて次の挑戦をするぞ、となった時、彼と再びというのはとても自然な流れだった。信頼できる共同創業者を探すという、スタートアップ最初のハードルは、こうしてあっさりクリアされた。誰とするかは、何をするかよりずっと大事だ。
何をするかについては、幅広く検討した。開業した歯科医向けのCRMを作ろうなどと割と突拍子もない事も含めて。しかし、色々な事を検討していくうち、テストの効率を機械学習を使って解決するという、僕らの今までのキャリアにとても近いところに落ち着いた。市場に対する知識、知名度など、投資家目線でみたらやはりこれが一番確度が高いように思えたし、自分たちの中でも成算がつきやすかった。
シード資金調達
僕らが新しいスタートアップの計画をしているという事を知人の投資家に話したら、今すぐ始めろ、お金は出してやる、と拍子抜けするほどあっさりと資金のオファーが出て、一気にこの話が加速し始めた。Battery VentureのDharmesh Thakkerだ。とても温厚な柔らかい人辺りの投資家。彼のところは何千億円という巨大なファンドを運用しており、本来ならシード段階の我々のような会社にお金を出すVCではない。僕らがCloudBeesで積み上げた実績というのは、結構外から評価されているんだな、と自信をつける出来事だった。
CloudBeesの時の投資家だった、John Vrionisという別な投資家にも話を持っていったら、彼もあっさりと、お金はうちから出すよ、と言ってくれた。Johnは、Dharmeshと違ってフットボール・コーチのようなタイプで、厳しいことも結構言ってくるが、そういう人の助言が大事だ。Johnは前のファンドを離れて自分のファンドを始めており、そこは僕らのようなシードステージの会社に特化していたので、そこに惹かれた。
結局、両方から半分づつ、都合$3Mの資金を集め、Launchableは発足した。
Sell > Design > Build
前職の経験と、投資家からのアドバイスで僕らの信条になったのは、「Sell, design, then build」という考え方だ。なので、僕らはまずスライドデッキを一つ作って、売り込みを始めた。こういう製品を作ろうと思っているが、どうか。アドバイスをくれ、という体であちこちにメールを送ると、知らない人でも好意的に時間を作ってくれ、彼らの現場意識と、我々の作ろうとしている製品に対する意見をくれた。中には、僕らの解決しようとしていて問題に、今まさに現実に直面していたチームがいくつかあり、その人たちを「design partner」という名目でサインアップしていった。
彼らの開発現場をちゃんと知り、データを吸い上げ、こういう機能が提供できればインパクトありますよね…という事を確認しつつ、徐々に実際のソフトウェア作りに着手していく。
技術部の発足
いよいよソフトウェアを作る段階になったので、技術者を採用する事にした。が、パンデミックのテック好景気と、前職から技術者を引き抜かないという紳士協定を結んでいた事が重なって、アメリカで技術者を採用することが出来ない。リクルーターを使ったのだが、送られてくる人みな、驚くほど値段が高いか驚くほど使い物にならない。
ここで思い切って、技術部を日本に作ることにした。日本で技術者を採用するのは、欧米の一般のテック企業にとってはハードルが高いが、僕は日本に縁と繋がりがあるので、採用を有利に進める事ができるはずだと考えた。また、日本の技術者に海外のテック企業で働く機会を作りたいという思いもあった。海外の人々と渡り合って経験を積んでくれれば、日本と世界を繋ぐ架け橋がまた増えるはずだ。
檄文を飛ばしたら、思いの外好反応があり、総務・経理を引き受ける人を探し、受け皿として日本に子会社を作り…と、いう具合で、日本に技術部が発足した。この間、パンデミックのせいで日本は鎖国しており、日本を訪れることは出来なかった。そんな状態でも意外に何とかなってしまうものだ。
Launchable Live
こうして、エンジニアリングは日本、それ以外のセールス・マーケティングなどはすべてアメリカという、Launchableの基本体制が出来上がった。言語と時差が仕事に大きな支障を作らないように、会社の文化を注意深くデザインした。こういった事については、前職の時の反省から色々な知見があった。
Launchableでは、オフィスを持たない代わりに、一年に二回、全社員を一同に集めた。一度はアメリカ、一度は日本で。AirBnBで大きい家を借り切ってワイワイやったり、京都の古民家を会議室として借りて畳の間で議論したり。夜は夜で、マリオカートをしたり、酒を飲みに行ったり、カップラーメンを食べさせたりした。一つ一つがとてもよい思い出だ。
遠い世界からの客人をもてなし、自分たちの文化を誇らしげに見せ、喜ぶ姿をみるのはとても嬉しいことだ。そういう気持ちのやり取りが仕事を支える人間関係・信頼関係を作っていく。
Series A
ある程度のお客がついたところで、次の資金調達の仕事が始まった。社長にとって、もっとも大事な仕事である。会社でうまく行っていないところに着目してそこをどうするのかを考えるのが普段の仕事だが、資金調達の時にはうまく行っているところに着目して、それを一つの物語にするのが仕事になる。前者のモードでミーティングをして、次のミーティングでは後者にサッと頭を切り替えないといけなかったりする。これがなかなか難しい。
資金調達というのは断られ続ける作業だ。Yesと言ってくれる人は一人でよい。そうは分かっていても、振られ続けるのは精神的にはキツイ作業だ。シードラウンドの時が簡単すぎた。幸い、自身が開発者の出身である645 VenturesのAlessioが僕らのやっている事を理解して気に入ってくれて、そこがリードして$9Mの資金調達を無事終える事ができた。今でも頭が上がらない人の一人だ。
会社としての成長
コツコツと作り続けてきたソフトウェアは、徐々に機能が拡充してきた。ウェブアプリの画面数が増えていき、ユーザーに提示できる情報が多くなっていく。Flaky testを分析する機能。失敗したテストをAIによってまとめていく機能。ブランチやテスト・スイートによってデータを分析する機能。プロダクトの成長は、いつもやきもきするほどゆっくりだが、確実でもある。筋トレのようなものだ。気がつけば、結構大きなストーリーを語れるようになってきた。
売る方でも、試行錯誤を続け、少しずつ、しかし着実に売り方が浮かび上がってきた。比較的金額の小さい最初の着地ディールを作る。金額が低いから、性能評価に掛かるプレッシャーが下がる。その分、短い期間で契約に結びつく。そうしておいて、使ってもらってから利用規模を拡大していく。
途中で人をレイオフしなくてはならないなど苦しい時期もあったが、それでも会社も製品も少しずつそれらしく逞しくなっていった。
CloudBeesとの再接近
CloudBeesの指導部とは、会社を去ってからも接触はずっと続いていた。何人かにはLaunchableにお金も出してもらっていたし、顧問として参加してくれた人もいた。
我々の製品が対象にしている層はCloudBeesが対象にしている層と近かったし、CloudBeesはずっと大きな会社だったから顧客へのリーチもずっと大きかった。彼らの販売網を使ったら、製品がより一段飛躍するのでは、そんな期待はいつもどこかにあった。
CloudBeesの方でも、AIに力を入れていきたいという気持ちがどこかで芽生えたようだった。創業期からの仲間が、ちょうどAIをやっているぞ、奴らと合流すれば、AIの取り組みをジャンプ・スタートできる、そんな期待が育ったようだった。
ビデオ会議がいつのまにか、全日のオフサイト・ミーティングとなり、それが取締役会の議決となり、いつのまにか弁護士を混じえた交渉になっていた。これは違うな、となって物別れになる可能性は常にあったし、実際に交渉が決裂しそうになった事もあったが、何かに導かれ、また幾ばくかの幸運に助けられ、ついに冒頭の機上での電子署名へと至る事になった。
これから
Launchableの技術部の人々は、サラシに一本包丁差して、アメリカのテック企業で働きたい、世界に向かってモノづくりをしたい、そういう思いを持って来てくれた人ばかりだ。その点、CloudBeesは創業から一貫して7つの海を跨る会社だ。これ以上の舞台はない。
我々の製品も、一定のお客さんに使ってもらって、日常的にフィードバックを得られる体制になっている。プロダクトの改善がとてもしやすいし、そうして作ったものがお客さんに喜びをもたらすのを間近で感じられる状態だ。CloudBeesのセールスの人たちは我々の製品に非常に興奮してくれている。客先からの反応も上々な滑り出しだ。
CloudBeesではAIの取り組みをさらに拡大するので、チームも拡充して技術者も募集する事になった。日本にいながら世界を股にかけて活躍する機会だ。我こそは、と思う人はぜひ手をあげてほしい。CloudBeesでは世界中で採用しているので、日本ではいい人が取れるんだぞという事をアメリカの会社に印象づけたい。そういう小さな事が積み重なることで、より多くの人に大きな機会が広がるはずだから。