今年の夏から水彩画に挑戦している。自転車から落車して足首を怪我し、6週間ほど自転車に乗れない日々が続いたことがきっかけだった。足を使わずに家の外に出る動機が必要だった。水彩でする写生はちょうどよかった。
やっていくうちに、自分にとって快適な環境が出来上がった。15x20cm位の小さな画用紙。娘が子供の頃ちょっと使ったまま打ち捨てられていた余り物の絵の具セット。買い足した色々な形の筆。水をいれるジャムの空き瓶と、水や絵の具を拭き取るためのキッチンペーパー。写生に持っていけるように鞄の中に全部収まっている。もっとも、秋から冬になって寒くなるにつれて、もっぱら水彩は室内でやっているのだが。
始めてから7ヶ月たって、数えてみたら50枚強描いていた。中々凄くないですか。
とにかくよく分からずにやっているのだが、少しずつ技法のようなものも練習したり身についたりしている。例えば、濃淡で表現するのを練習しようと何枚か絵の具一色だけで書いてみたり。ある日、木を描いてみたら全然木に見えなかったので、それなら木を描くにはどうするかと思い練習してみたり。絵の具の緑色が不自然な色なので色を混ぜるという事について学んでみたり。最近練習したのはスパッタリングといって絵の具の飛沫を飛ばす技術。最初は水彩色鉛筆を使っていたのだが、使っていくうちに、芯から絵筆に絵の具を移して使うようになったので、それならば普通の絵の具を使うかと思って色鉛筆からは卒業した。そんな感じで水彩画に対する僕の興味は続いている。この道がどこに辿り着くのかは全然分からない。全然わからない、というのはとてもワクワクする。
水彩画への取り組み自体が旅のようなものだとするならば、一枚一枚を描く過程もまた小さな旅のようなものだ。こういう対象をこういう風に書いてみたいなと思い書き始めるが、大体描き終わってみると当初思っていたのとは全然違うところに辿り着いている。蓋を開けてみるまで分からない。完成したやつを眺めていると、ここは駄目だったけどどうしたらいいのかなとか、思いがけずあれは上手くいったからどこかでまた試してみようとか、あれをこうしたらどうなるだろうかとか、そういう疑問やアイディアのようなものが湧いてくる。それを動機にまた次の作品へと進む。
半年やって少し前に進んだなと思うが、技芸の習熟は驚くほどゆっくりだ。水と絵の具を制御し、制御しきれない部分を活用して絵にしていく。半年やってみて難しさがわかったので、その分、本物の画家達の作品を見ると、そのレベルの高さに目眩がするようになった。やってみてようやっとわかる難しさ。
僕の歩みはこちらからご覧いただけます: https://flic.kr/s/aHsmW9KDmg