大昔に自分が書いたプログラムが出てきた

高校時代の後輩が僕が当時書いたプログラムを見つけてくれた。山が崩れないように 字牌 を順番に取っていくというゲーム。 Windows 3.1 時代の16bit アプリなので現代の Windows では動かないが、僕は Linux 使いなのでWineで問題なく動かすことが出来た。

ウェビナー: 機械学習によるテスト選択と並び替え

テスト時間掛かりすぎ問題。職業としてソフトウェア開発に関わった事のある開発者の方なら誰しも経験があると思います。時間が掛かるだけじゃなく、テストの頻度が低いし、実行しても信頼性のある結果が得られない。僕自身にも経験があります。プルリクエストの検証にテストが走るようにしたものの、時間が掛かる割には何の理由もなく失敗したり、その上テストが全件通ったから安心できるかといえば、そうでもない。そして、テストが通るまでの間の時間を潰すために、マルチタスクをする必要もありますね。

ちょっと毛色の違う多様性の発表をします

僕は日本で育ち渡米し、政治的にも左よりで、また高校生の娘もいるので、多様性というテーマについては肯定的に考えてきました。これを読んでいる男性諸氏にもそういう人はたくさんおられるのではないでしょうか。しかし、それが自分の行動に何か繋がっていたかと言うと、そうではありませんでした。自分はみんなに分け隔てなく接しているし、これでいいはず。どこか観念的な問題。進歩人の基礎的な知的嗜み。

Launchable Japan 発足

日本の技術の力と世界と繋げたいとずっと思っていました。その夢が、先日書いた檄文が色々な人の目にとまったおかげで、遂に現実のモノとなりました。

求む、同志

既報のように、こないだから、ここ十年来のプロジェクトであるJenkinsを離れて、新しい事業Launchableを起こしています。ソフトウェア開発者の生産性を上げたい、もっとデータと機械学習を使って、開発者の外骨格である自動化されたプロセス達が効率よく、頭良く実行されるようにしたい、そういう思いを持って取り組んでいます。おかげで、お金もちゃんと集まったし、全米各地の優秀な人達を集めたチームを作ることが出来たし、お客さんも開拓されつつあるし、t_wadaさんにも「強いシンパシーを感じる」とまで言ってもらって、心を強くしています。

ツレが鬱になりまして

先日、「ツレが鬱になりまして」という映画を見た。 僕の身の回りにも過去に鬱を患った人が何人かいるのだが、この映画を見て、今まで鬱について何も知らなかったし、知ろうともしなかった事を恥ずかしく思った。しかし、一番心に残ったのはそこではない。 この映画では、サザエさんやちびまる子ちゃん的な「普通」の家族の形ではなく、世界に二つとない独特な夫婦の形が描かれる。それは夫婦の役割分担という事だけじゃなくて、会話の間の取り方だったり、くつろぎ方だったり、互いの風変わりな趣味を尊重することであったりする。大体夫の事を「ツレ」と呼ぶのからして普通じゃないし、例えば、夫が失業してお金がないのに、大枚をはたいて夫が亀を買うシーンがあるのだが、嫁は全然その事に抵抗感が全くない様子が描かれる。 多くの人にとって、「普通」でない、というのはそれだけでもう大変に恐ろしいものではないだろうか。多分本当は「普通」な人なんて誰もいないのであろうが、無視しようと思っても、「普通」の方から勝手に規範を押しつけにやってくるのだからしょうがない。鬱という病気にとって、そのような規範の押しつけが特に良くないという事もあるだろうけど、劇中、この夫婦は、特に健康な嫁さんの方は、この二人の独自な関係にどんどん肯定的になってゆく。鬱から回復した夫も。 さて、僕の周りにも、不思議な夫婦がいる。正直、どうしてうまく行っているのか皆目分からないが、とても上手くいっているように見える。開けっ広げな感じなので、何かの秘密があるのじゃなくて、「普通」という罠を超えたところに二人だけの特別な関係を作り上げたのだろうと思っている。周囲の人の眼前にあるのに、その二人にしか理解できない関係。世界に一組しかない割り符。公然の秘密。 とても素敵だと思った。 普通じゃないという事はとても素敵な事である。