停電

日曜日、嫁さんを空港に見送った。その数時間後、台風(のようなもの)のせいで、家が停電した。それ以来、電気は戻っていない。

月曜日の発表のための資料を作らなくてはいけなかったのだが、どうしよう。幸い、友人が家にごはんでもどうですかと呼んでくれたので、ご飯問題とインターネット問題が同時に片付いた。暴風雨の中を恐る恐る車で出掛ける。巨大な街路樹が倒れて、片側三車線ある道路を完全に塞いでいるのを横目に通り過ぎる。夜までしばし楽しい時間を過ごし、無事資料を作り、家に戻って寝る。

朝起き、とりあえずご飯を食べようと思うが、冷蔵庫を開けてしまうと冷気が逃げてしまうので開けられない事に気付いた。コーヒーを淹れても牛乳が入れられないので飲むことが出来ない。よくインターネットはインフラだとかいうが、こうして電気が止まってみると、電気や水道の大事さはやはり比較にならない。

代わりに、暴風で落っこちた庭のオレンジの実を食べる。五個食べた。今日は朝8時から歯医者に行くことになっているのだが、そもそも歯医者はやっているのか?道路はちゃんと使えるのか?

無事歯医者に着き、治療を終える。今日はどこで仕事したらいいのか。以前訪れた事のあるコワーキングスペースを急遽申し込み、そこに向かう。行きがけに、普段寄ることのないパンケーキ屋さんで朝御飯をとる。

アップアップ状態の仕事をバリバリと片付け、宵の口の発表も無事に終え、帰りに夕食を外食し、家に戻るとまだ電気が戻っていない。一人、暗く寒い自宅で眠るのも寂しく感じ、そのまま家の前を通り過ぎて近くのバーに向かった。手紙など書いて時間を潰す。このお店にこんな時間に来たことはない。バーテンダーが隣の客と車のメンテナンスについて会話している。家の近くなのに、非日常の気分。

夜10時頃家に戻り、ろうそくの灯りでシャワーを浴びる。見慣れたはずのバスルームが、オレンジ色にぼうっと浮かび上がる。家が寒いせいか、あるいは灯りが暗いせいか、バスルーム中に蒸気が満ちて別世界のようだ。

明けて火曜日。朝目覚める。電気はまだ戻っていない。近所のダイナーに朝御飯を食べにいく。家から徒歩圏のお店だが、自宅近辺で朝御飯を食べることなどないので、ここもとても新鮮に感じる。

無音にされた大きなテレビには、カウボーイハットのコメンテーターが映り、今週末のスーパーボウルについて何か熱心に喋っている。反対側を見ると、室内なのに大きなアメリカ国旗が掛かっていて、天窓から朝日を受けて輝いている。僕の地元はこんなアメリカっぽい街だっただろうか。ここはテキサスかどこかの間違いではないのか?

すいている店内で、ウェイトレスがタバスコの瓶を並べて中身を補充している。中身を詰め、蓋をするリズミカルな動き。目が吸い寄せられる。僕も作業をしたいなと思った。無心に繰り返し出来て、始まりと終わりがハッキリした、考える必要の無い作業を。

そこでハッと気付いた。僕が今しているこれは旅だ。家に寝泊まりはしているけれど、毎日が非日常。一人で、見知らぬ店を訪れ、次はどうしようかと考えながら行動する。これは旅だ。旅では何が起こるか分からない。それが楽しい。そして、その体験の中で、逆に日常生活のありがたさを感じながら、日常に戻ってくる。日常は、リズムのある、安心できる繰り返しのある世界。家。

今の僕には日常がない。日常に存在していたはずが、一瞬にしてその日常がなくなってしまった。だからタバスコの補充に心惹かれるのだ。

家にいながらにして旅をすることも出来るのだ、という発見をした。そうしたら、ふととても楽しい気持ちになった。

停電は今も続いている。いつ復旧するのか、連絡はまだない。楽しみだ。

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